月城かなとさんは、月組のトップスターとして活躍し、宝塚人気を押し上げてきた1人です。
そんな月城かなとさんが惜しまれながら退団されたことは記憶に新しいかと思います。
この記事では、月城かなとさんの退団理由について、また退団は怪我の影響との噂について調査しました。
月城かなとの退団の理由がスゴい!

月城かなとさんは2021年8月に月組のトップスターに就任し、すばらしい歌唱力や演技力を発揮し活躍してきました。
しかし、2024年7月7日の公演「Eternal Voice 消え残る想い」「Grand TAKARAZUKA 11!」の東京公演千秋楽をもって宝塚歌劇団を退団することを発表しました。
月城かなとさんは、「芝居の月組」を体現する正統派男役として人気があり、チケットが前売りの段階で完売するほど、月組の人気をあげた立役者でした。
そんな月城かなとさんの退団を惜しまれる声が上がっていました。
退団の記者会見で、
「トップスターに就任というお話をいただいた時、歴代の月組トップスターのお名前をあらためて拝見し、自分のことだけでなく、月組の伝統を引き継ぐ役割をいただいたのだと感じました。その上で、どのタイミングで次代に引き継ぐのがベストかと考え、大劇場公演5作での退団を決意しました。」
と話し、早期に退団時期を決めていました。
月城かなとさんは、自分の責任を感じるとともに、月組の伝統を守っていこうという意志を持って、奮闘されていたことが分かります。
また
「早い段階で自分のゴールを決めたことで、頼もしいメンバーが経験を積んで成長し、最高の状態で次に繋げられるように、前向きに進むことができたと思います。そして、宝塚歌劇110周年という節目の年に月組が新しく、さらに愛される組に進化すると信じています」
と話しており、月組を今後担っていく後輩たちへの愛も感じます。
月組の先の未来を考えてのご自分の決意だったことがわかりますね!

2017年に雪組から月組への組替えになったことが自身のターニングポイントだったようで、月組に対して深い思い入れがあるようです。
「毎日同じメンバーで公演をつくる中で、全く新しい環境に身を置く機会をいただいた。今では自分のいた組は月組と言えるし、組替えをしてよかったと思えるようになったことがうれしい」
「トップとしていられるのは組のみんなのおかげ。元気な姿で舞台に立つことで感謝を返していこうと思ってやってきた。」
と月組に対して感謝の気持ちも語っていました。
15年間という年月を宝塚で過ごし、多くのファンを魅了してきた月城かなとさん。
月城かなとさんの今後の活躍からも目が離せませんね!
月城かなとの退団は怪我の影響との噂は?

月城かなとさんは2019年に舞台を休演していた時期がありました。
それは2019年5月3日から6月9日までの東京宝塚劇場で公演されたショー『クランテープ 天使の都』での休演でした。
休演の理由は、公演中に負った怪我だったようですが、詳細については発表されませんでした。
怪我の原因については、舞台装置の事故との噂や、ダンスシーンでの激しいリフトとの噂が出ていますが、あくまで憶測にすぎません。

怪我をしたすぐあとはショーのみ休演し、芝居には出続けたようですが、その後は治療に専念するために芝居とショー両方とも休演することになったようです。
観劇したファンによれば「腰をかばうような振り付けだった」ことから、腰のあたりを痛めた可能性が高いです。
当初は十分な治療がなされないまま無理をして出演されていたんでしょうね。
迷惑はかけられない、穴をあけたくないというプロ意識の現れだったのでしょう。
それから休演後の約5ヶ月もの間、治療に専念していたようです。
そして2019年10月4日初日公演の『I AM FROM AUSTRIA』で、ファン待望の復帰を果たしました。

しかしその後、月城かなとさんは宝塚舞踊会を休演しており、ファンの間ではまだ怪我が完治していないのではと噂されていました。
宝塚舞踊会は1年に1度、全ての組ではないですが、トップをはじめ娘役トップや2番手などのスターが出演する舞踊公演のようです。
その公演には出演するはずの2番手の月城かなとさんが休演を発表したのです。
足に負担が来ないように配慮されていた可能性が高いですね。
怪我の影響で、トップスターとして自身が思うように動けなくなっていたと推測されます。
月城かなとさんの退団には怪我の影響が少なからずあったと考えられます。
まとめ
この記事では、
・月城かなとさんの宝塚退団の理由は、宝塚の未来や後輩への愛を感じるものだった
・月城かなとさんの退団は怪我の影響が少なからずある可能性が高い
についてご紹介しました。
月城かなとさんには宝塚で培った演技力や歌唱力で、今後も活躍してほしいですね!
最後までお読みいただきありがとうございました。